エリーゼのために

いつか、また逢おうね

おじさん、具合悪くなっちゃったんだって

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娘:「ねぇ、あのテレビ、いつやるんだっけ」
妻:「え? なんのテレビ?」
娘:「いつもみてるじゃん、でも最近はみてないやつで」
妻:「なん曜日の?」
娘:「わかんない」
妻:「Eテレ?」
娘:「たぶんそう。あの、あるじゃん、おねえちゃんたちがいっぱい出てきて、お話するやつ」
妻:「え? あ~、『Rの法X』?」
娘:「あ、そうそう、それ! あれ好き」
妻:「あれねぇ、おじさん、具合悪くなっちゃったんだって」
娘:「あのおじさん? へー、いつもニコニコ元気そうだったのにね」
妻:「うん。でも、ちょっとニコニコしすぎちゃったのかな」
娘:「え?」
妻:「無理してんじゃないかなって心配していたんだけど、こうなっちゃったかぁって」
娘:「ふーん、そうなんだ。残念」
妻:「そうねぇ、残念ね」

 

「母ちゃーん!」のセリフで始まる「母と子の会話」と言えば『欽ドン!』だが、1970年代にテレビっ子だった方でないとピンとこないかも知れない。

 

さておき、上の会話はコントのネタではなく、私が自宅のリビングでくつろいていたときに聞こえてきた小学1年生の娘と妻とのやりとりである。

事件当事者にとっては笑い事ではないし、娘を持つ親としても他人事ではない。しかし、不可解を抱えた娘と、どう説明したらよいかわからない親とのチグハグにならざるを得ない会話にどことなく微笑ましさを感じてしまった。不謹慎だろうか。

 

子供も小学生くらいになると、思考能力や認知能力は大人のそれとあまり変わらないのではないかと常々思っている。というか、むしろ優れているとすら感じることが度々あるほどだ。自分が小学校へ入った頃の記憶を思い返してみても、経験と知識が乏しいということ以外で大人に比して劣っていることは思い当たらない。そんなふうに考えてみると、いわゆるオトナの話題に接したとき、子供とどこまでどんなふうに話してよいのやら、迷う場面も増えてくるのだろう。

 

*  *  *  *  *

 

私が小学4~5年生のときだったと思う。上述の『欽ドン!』で紹介された投書ネタをまとめた書籍を持っていた。その中の一話で、何が面白いのかどうしてもわからないネタがあり、父母がいる居間に行って読んで聞かせたことがあった。

 

息子:「母ちゃ~ん!」
母:「なんだい」
息子:「なんで僕のことを生んだの?」
母:「それはね、父ちゃんとジャンケンして負けたからだよ」

 

父母ともほぼ同時に爆笑。ますますわけがわからず、しかしちゃんと説明してくれた記憶はない。その後自力で理解するのに数年かかったために、こうして今でも記憶に残っている。笑いのネタというものは、そもそも説明されて理解するものではないという意味では正しい。しかし、この場合はまた別な話である。

 

*  *  *  *  *

 

おそらくもう2、3年もすれば、娘もだいぶ自然の摂理がわかってくるはず。その結果、典型的には「お父さんキモい」「不潔」「あっちいって」と疎まれることになる。それが健全であると思う一方で、身を守る知識は誰が教えてくれるのか。女親にすべて託せばよいのか、学校で多少は習うのか、友だち同士の情報交換で間に合うのか。まぁ、そんなことをオヤジは気にする必要すらないのかもしれないが。

 

冒頭の母娘の会話は、当人たちにはとっくに忘れ去られているだろうが、わきで聞いていた者にとっては記憶に残るやり取りであった。それぞれが違うことを思い浮かべながら、それでも同程度の納得度をもって着地する会話というのは、傍で見ている者に「おかしみ」を与える。これを意図的につくって披露するのがコントや漫才なのかも知れない。そこに複数のオーディエンスがいる場合、互いに共犯者的な連帯感が生まれ、ますます愉快になるという仕掛けなのかなぁなどと考えたりもする。

 

萩本欽一のわきで立派にMCを務めていた香坂みゆきは、確か当時小学4年生だった記憶だ。そして、自分の娘とそう離れていない年齢だということに気がつき驚かされる。この“母と子の会話”は、私にとってどういうわけか忘れられず、こうして文字の記録に残したくなるほど印象深いやり取りになったのだが、笑えない事件を背景にしていることを差し引いて「ややウケ」くらいに入れてもらえたらなと思う。