コロナとYニュースと私
このところ、とてもモヤモヤしています。
引用 ◆「くるくら」by JAF
わが家のハムスター天に召す
昼過ぎに妻から電話が入った。なんだか切迫した声の様子だけど、どうした?
「ハムスターの様子がおかしい、すぐに病院に連れて行かないと」
急ぎ私のほうで、以前診てもらったことのある動物病院に連絡を試みていたところに、再び妻から連絡。今度はメールで「死んじゃった」と。
昨夜までは元気に走り回って飛び跳ねたりしたのに、数時間後に死んでしまうなんて。確かに最近は毛並みが少し荒れてきたかなという感じもあり、想像より年齢が高いのかもなどと思った記憶がよみがえる。
飼い主は小学2年生の娘である。今は友だちと遊びに行っていて、起きた事実については知らない。どのように伝えようかと思いを巡らすが、シンプルに話をするしかないのだろう。
半年前、娘がもらってきたのは、メスのハムスターだった。そもそももらった時点で何歳だかわからなかったのだが、出産したことがあるという話だったので、1歳は超えていたのかも知れない。そこから5ヶ月半なので、ちょっと早いが寿命と言えなくもないのか。
「ちゃんとお世話できるの?」という問いに娘が頷いたことでハムスターとの生活が始まった。大人の側としては大丈夫かなと半信半疑なところもあったが、毎日欠かさず、水替え、エサやり、トイレ掃除の世話をやり切った。
夏休みの自由研究も、ハムスターの観察日記になった。切りぬいた写真と手描きイラストと解説とをファイリングしたもので、ちょうど完成したばかりだった。
これを学校に提出するときに、観察対象のハムスターがもうこの世にいないなんて、なんともやるせない気持ちで一杯である。
その日の夕方、娘が家に戻る少し前に帰宅するようにした。帰ってきた娘に、起こったことを静かに話した。「XXちゃんね、さっき天国に行っちゃった」
「え? なんで…、なんで…」と小声を発しながら、指で涙をぬぐう姿は胸に刺さる。娘にしてみたら、あんなに大事に毎日お世話をしてきたのに、という気持ちなのだろう。
近くの公園でお葬式をした。春になると見事な桜の木が咲き乱れる美しい場所だ。娘の小学校入学のとき、真新しいランドセルを背負って家族で記念撮影した場所でもある。いっしょに暮らしてきたペットを失ったことは悲しい。でも、このハムスターが来てくれたことで、娘の成長を大いに後押ししてくれたという感謝の気持ちがそれに勝る。
桜の木の太い幹の脇に小さ穴を掘る。愛用の木くずを敷いて寝かし、ひまわりの種をいくつか持たせた。
じゃあね。ありがとね。
おじさん、具合悪くなっちゃったんだって
娘:「ねぇ、あのテレビ、いつやるんだっけ」
妻:「え? なんのテレビ?」
娘:「いつもみてるじゃん、でも最近はみてないやつで」
妻:「なん曜日の?」
娘:「わかんない」
妻:「Eテレ?」
娘:「たぶんそう。あの、あるじゃん、おねえちゃんたちがいっぱい出てきて、お話するやつ」
妻:「え? あ~、『Rの法X』?」
娘:「あ、そうそう、それ! あれ好き」
妻:「あれねぇ、おじさん、具合悪くなっちゃったんだって」
娘:「あのおじさん? へー、いつもニコニコ元気そうだったのにね」
妻:「うん。でも、ちょっとニコニコしすぎちゃったのかな」
娘:「え?」
妻:「無理してんじゃないかなって心配していたんだけど、こうなっちゃったかぁって」
娘:「ふーん、そうなんだ。残念」
妻:「そうねぇ、残念ね」
「母ちゃーん!」のセリフで始まる「母と子の会話」と言えば『欽ドン!』だが、1970年代にテレビっ子だった方でないとピンとこないかも知れない。
さておき、上の会話はコントのネタではなく、私が自宅のリビングでくつろいていたときに聞こえてきた小学1年生の娘と妻とのやりとりである。
事件当事者にとっては笑い事ではないし、娘を持つ親としても他人事ではない。しかし、不可解を抱えた娘と、どう説明したらよいかわからない親とのチグハグにならざるを得ない会話にどことなく微笑ましさを感じてしまった。不謹慎だろうか。
子供も小学生くらいになると、思考能力や認知能力は大人のそれとあまり変わらないのではないかと常々思っている。というか、むしろ優れているとすら感じることが度々あるほどだ。自分が小学校へ入った頃の記憶を思い返してみても、経験と知識が乏しいということ以外で大人に比して劣っていることは思い当たらない。そんなふうに考えてみると、いわゆるオトナの話題に接したとき、子供とどこまでどんなふうに話してよいのやら、迷う場面も増えてくるのだろう。
* * * * *
私が小学4~5年生のときだったと思う。上述の『欽ドン!』で紹介された投書ネタをまとめた書籍を持っていた。その中の一話で、何が面白いのかどうしてもわからないネタがあり、父母がいる居間に行って読んで聞かせたことがあった。
息子:「母ちゃ~ん!」
母:「なんだい」
息子:「なんで僕のことを生んだの?」
母:「それはね、父ちゃんとジャンケンして負けたからだよ」
父母ともほぼ同時に爆笑。ますますわけがわからず、しかしちゃんと説明してくれた記憶はない。その後自力で理解するのに数年かかったために、こうして今でも記憶に残っている。笑いのネタというものは、そもそも説明されて理解するものではないという意味では正しい。しかし、この場合はまた別な話である。
* * * * *
おそらくもう2、3年もすれば、娘もだいぶ自然の摂理がわかってくるはず。その結果、典型的には「お父さんキモい」「不潔」「あっちいって」と疎まれることになる。それが健全であると思う一方で、身を守る知識は誰が教えてくれるのか。女親にすべて託せばよいのか、学校で多少は習うのか、友だち同士の情報交換で間に合うのか。まぁ、そんなことをオヤジは気にする必要すらないのかもしれないが。
冒頭の母娘の会話は、当人たちにはとっくに忘れ去られているだろうが、わきで聞いていた者にとっては記憶に残るやり取りであった。それぞれが違うことを思い浮かべながら、それでも同程度の納得度をもって着地する会話というのは、傍で見ている者に「おかしみ」を与える。これを意図的につくって披露するのがコントや漫才なのかも知れない。そこに複数のオーディエンスがいる場合、互いに共犯者的な連帯感が生まれ、ますます愉快になるという仕掛けなのかなぁなどと考えたりもする。
萩本欽一のわきで立派にMCを務めていた香坂みゆきは、確か当時小学4年生だった記憶だ。そして、自分の娘とそう離れていない年齢だということに気がつき驚かされる。この“母と子の会話”は、私にとってどういうわけか忘れられず、こうして文字の記録に残したくなるほど印象深いやり取りになったのだが、笑えない事件を背景にしていることを差し引いて「ややウケ」くらいに入れてもらえたらなと思う。
チクチク、ヒリヒリ、でも、ドキドキ。
「件名:◯◯ちゃんの自転車
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本文:無事にもらわれていきました」
昼間届いた妻からのメールには、この一行のみとともに、娘がこれまで愛用してきた自転車の写真が添付されていた。
* * * * *
メーカーは忘れたが、確か「2 to 6」という商品名で、2歳から6歳まで長く乗れるという謳い文句が目に止まり、ショッピングモールで実物を確認。そして、その場で注文購入した子供用自転車だ。その名の通り、きっちり4年間乗りまわし、最初は漕ぐことすらおぼつかなかった娘が、最後はハンドルに膝が当たって痛いとクレームを言うまでに成長するのを、文字通り伴走してくれた自転車である。
そのキュートな赤い自転車が、今日、とうとう小さなお友だちにもらわれていった。
購入したときは、これから4年も使えるなら十分いい買い物だよねと、妻と言葉を交わしたことを覚えている。あのときは自然と「4年も」という表現を使ったが、今ふり返ると「4年しか」と言えなくもない。予定通りなのに。
事実上サイズがまったく合わなくなったので、乗り続けることができないのはしかたがない。しかし、モノには記憶が結びつく。心の一部が染み込んでしまう感覚と言い換えることができるかも知れない。自転車の残像に、あらゆるシーンとそのときの娘の表情とがいちいち結びついてチクチクする。
家に届いた新品の自転車を前に、満面の笑みを浮かべたこと
広い公園で一本道を一人で往復し、誇らしげな顔をしたこと
一方で、ゆるい登り坂でうまく漕げずに転んで泣いたこと
なんの理由か忘れたが、道端で拗ねて自転車を投げ出してしまったこと
そしてもちろん、初めて補助輪なしで風を切って走って見せたこと
大切にしている気持ちの一部を剥がし取られるような、腹の奥でヒリヒリするような感覚を覚える。
でも、この自転車が、また別の2歳の子の、これから始まるさまざまな歴史に立ち会う機会を得たことは喜ばしいことだ。直接目撃することはないけれど、勝手に想像するだけでも少しドキドキしてくる。チクチク、ヒリヒリ、でも、ドキドキ。
自転車の旅立ちに際し、こびりついたサビを落とし、カゴやフレームの汚れを拭き取り、補助輪と押し棒を取り付け直した。思ったより綺麗な仕上がりだ。きっと可愛がってもらえるだろう。週末の早朝は爽やかだった。
* * * * *
妻が送ってくれたメールは言葉少なだったけど、誰かに伝えないわけにはいかない感情が溢れていた。そして今夜家路につくとき、いつも必ず玄関先にあったその自転車がないことを、僕は確認することになる。
グレート・アンパンマン
年中行事という意識はまったくなかったのだが、なぜかゴールデンウィークには必ずアンパンマンミュージアムにやってくる。
訪れるたびに、前回はいつ来たんだっけ?と話題になり、そういえば去年もゴールデンウィークだったっけかと話はいつも同じところへ。今年で3年連続である。
休みにどこへ行きたいかという質問に対して、この4月に小学1年生になった娘から、アンパンマンという答えが返ってくるとは予想していなかった。算術や文字の書き取り練習をしている姿からは、もうさすがに卒業だよなと思っていた。
前々回、着ぐるみのアンパンマンと握手するために歩み寄った際に、愛用の水筒がアンパンマンキャラであることを見せたくて、胸元に両手でしっかり水筒を支える娘の姿が眩しくよみがえる。あれはまだ4歳の頃か。あの時代はもう帰ってこないと、親としては少々しんみりしていたところだ。
しかし、尋ねて答えが返ってきた以上、その意志をむげにはできまい。よし行こう!ということで、みなとみらい線の新高島へ。
そして、はるばるやってきた正面玄関前。早い時刻に到着できたおかげか、GWなのに予想したほどの行列はできていない。しめしめと思いきや、娘の様子が少しおかしい。ん?どうした? 尋ねると、中には入らないと言う。え?なにかあったの? 今日は別のところに遊びに行きたいと言い出した。え〜!
どうしたものかと、しばし妻と会話。まぁ別な過ごし方のほうがよいならありだけど、どこか公園でも探すか、天気もいいし。でもこれからどこへ? などとやり取りするうちにも、やはり娘はどうやら入りたいらしいことが判明してくる。よくよく聞くと、ちょっと恥ずかしいのだそうだ。って何が? そうか確かに列に並んでいるのは小さい子ばかり。中には小学生も見当たるのだが、娘曰く、それは妹や弟がいっしょだからだそうだ。なるほどよく見ている。
いくらか問答の末、有料エリアには入らず、まずはジャムおじさんのパン屋でおやつタイムとなった。アンパンマンとメロンパンナちゃんと赤ちゃんマン。ひとつ310円という菓子パンの価格に驚きながら、ついでに、赤ちゃんマンというかなり無理やりなキャラクターにはむしろ感心しながらも、娘の食欲旺盛さに心を落ちつける。
さてこれからどうするかだが、この時点ではすでに娘の意志は明らかだった。娘とはゆっくり対話しつつ、結論として中に入ってしっかり遊ぼうということになった。
そして一日終わってみれば、5~6時間は遊び倒して、幼稚園児のときよりもよほど楽しんでいるようにさえ見えた。
ふり返って考えると、親が子の成長に戸惑ったエピソードだったのだが、見方を変えると、子が自分自身の成長に戸惑ったシーンでもあったのではないかと気づく。
目の前のアンパンマンが実際に空を飛ばないことを知っていても、すべて大人が作った仕掛けだとわかっていても、それでもなおファンタジーにわくわくする自分を感じることに困惑している姿だったのかもしれない。それは、親にとって、子の新たな成長の側面を見ることであり、しみじみとする瞬間でもある。
さて、もう本当にこれでアンパンマンは最後なんだろうなと、口には出さずに思っていたら、帰りがけに1300円もするコキンちゃんの風船を買ってあげていた。いつもならこういうおもちゃにはお金を使わないのに…。
そして、おそらく次は、ディズニーランドか。妻に話すと「もう行きたいって言ってるわよ。でも、どうせお父さんに言っても連れてってもらえないと思ってるみたい」って。え?なんで? オレってそんなに聞く耳持たぬオヤジだったっけ?! それとも成長した娘による誘導作戦の前フリか? いや、それは娘の戦略ではなく…もしや?!
健やかに育ってくれてありがとう
家のベランダから見える小学校の校庭。なにやら騒々しいと思ったら、今日は運動会らしい。昨年まではまったく他人事だったこの光景も、来年は娘が参加していると思うと感慨深い。
しかし、なんだろう、子どもの成長を喜ぶと同時に、この寂しさは?
7月生まれの彼女。“あの日”はとても蒸し暑く、空は晴れているが雲がまだらのように広がって、典型的な梅雨時の晴れ間のようだった。
その日の明け方、足元の物音で目を覚ますと、妻が差し迫った様子で「ハスイした」と。
予定日がまだ先だったので油断したところもあったが、来る時が来たという興奮でむしろ集中力が整ってくるのを感じたことを思い出す。
病院に到着したのはその後すぐの早朝だったが、そこから夜の8時過ぎまで、妻も娘もよくがんばった。こういうとき、オットは、まだら模様の雲を見上げているくらいしかできない。せいぜい、その時のこと書き留めておくことくらいか。
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201x年7月x日。今日は、今年一番の暑さで、猛暑日でした。天気予報は午後から雨でしたが、いま、午後8時半をまわったところで、まだ雨は落ちて来ず。やたらに蒸し暑い夜です。
7/1xを予定日としていましたが、2週間も早まるなんて、せっかちな性格なのか、いや、親ふたりの側がせっかち、あるいはまた別な問題なのか…。
そして、「おめでとうございます!」という助産士さんの声。午後8時40分。初めてこの世の空気に触れた君は、まだ艶々に濡れていて、元気に手足をばたつかせています。泣き声はほんの最初だけで、あまりにもおとなしくてびっくりするほど。僕にとって、君が生まれた瞬間の風景です。
昨夜寝るときは考えもしなかった急展開。今朝方、xx(妻)がお手洗いに起きたのかなぁと半分眠った状態でいると、「破水しちゃった!」と xx(妻) の声。朝6時ちょっと過ぎくらいでした。
そこから延々15時間。よくぞ健康に生まれてきてくれました。頑張ったね。ありがとう。
嬉しくて、嬉しくて、きっと涙が止まらないだろうと思ってたんだけど、実際は新たな命の存在に圧倒されて、君をただただ見つめることで夢中。手は?足は?指は?すべて精密なつくりでしっかりと完成されている模様。よかった~。感動的であることはもちろんだけど、安堵感がそれを上回ってしまったみたい。
そうそう、感動というより、感謝の気持ちで身体中がいっぱいになっていました。
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医師から「今日はもう遅いので、明日に見送ったほうがよいかもしれない」と、妻を通じて聞いたあと、いっとき病院の待合ロビーに戻る。
すべきことも思いつかず、ケータイで上記メモの文字を打っていたところで、“ん? 泣き声?!”
そして、わが人生において特別な瞬間が訪れた。
あれから数年が経ち、その間に大小の事件・事故を経て、現在の成長した娘の姿がある。腕も脚もしっかりとして、かけっこでは追いつかない日もそう遠くはないと感じる。
ほんのりした寂しさの正体は、眩いばかりの成長ぶりと表裏一体にある、幼い娘との刻一刻のお別れのせいだと気づく。
一日の終りに、寝息を立てている娘の表情を見る。明日、また笑顔で会えるだろうけど、今日の彼女はもう存在しない。こんな、親たちの間で何百万回も使い古されてきた表現が心に刺さるとは、自分の頭が狂ったとしか考えようがない。実際狂ったのだろう。でも、それでいい。
バカボンのパパが本当に天才だったことが、大人になってようやくわかる。
「これでいいのだ」
自転車ゴーゴー
もうすでに一年前のことだ。娘が5歳になった夏の終わりの話である。
初夏の頃、3歳の誕生日にプレゼントした自転車は、あまり頻繁に使われているとは言えず、2年近くが経とうとしていた。補助輪や安全バーがついているとスピード感はないし、自由が利かないのであまり楽しくないのだろう。すぐに飽きてしまい、練習はなかなか進まない。ということで、思い切って補助輪を外してみたが、ますます遠のく結果となってしまった。
「まだ早いのか・・・」と思う一方で、ペダルも取ってしまうというアイディアも頭の隅にあった。ストライダーとして乗っていれば、そのうちバランスを学ぶということをどこかで読んだか聞いたかしていたのである。
そして、これが大当たり。足で地面を蹴って走り出すと、ある程度スピードは出るし、倒れそうになったらすぐに足をつけばよいので恐怖感が少なく、かつ自由度は高い。すぐにも両足を上げて楽しむようになった。
いつペダルを戻すかが次の問題だった。早すぎると元に戻ってしまうかもしれない。しかし、タイミングを逸すれば乗れるようになるのは、また先になってしまう。
補助輪を外した初夏の頃は、夏の終わりには乗れているといいねと妻と話した仮目標があった。だが、乗れるようになるには、一山越えないといけないと覚悟もしていた。
なぜなら、自分自身の記憶を探ると、やはり確か5歳くらいだったかと思う。補助輪を片方だけ残した形でしばらく乗っていたが、いよいよ両方外しての練習。地面が土だった実家の庭で、何度も転んで半べそをかきながら練習したことを今でも思い出す。
ところが、娘の場合、ペダルを戻して乗り始めた次の瞬間、なんなく漕ぎ始めた! パランスを崩しそうになると足をつくのではなく、さらにペダルの足に力が入った。ハンドルさばきも絶妙である。本人もその面白さ、気持ち良さを味わっているようだった。そして、より大きな驚きと興奮に包まれているのは親の方だった。
もはや走らないと追いつかない娘の自転車に向かって「待って〜!」と叫び、スマホで動画を撮りながら追いかける。すると、ピタッと止まって振り返る娘。その顔は、親たちの感極まった表情とは対照的に涼しいものだった。
これが、人生に一度きり、自転車が乗れるようになったという一個人の歴史的瞬間である。その時に立ち会えたことがとても嬉しいし誇らしい。
娘はこれから様々な経験を重ねていくだろう。それぞれが彼女にとってすべて歴史的な瞬間の連続になるわけだが、自転車というのはその象徴的な出来事なのだろうと思う。
将来、また別の嬉しい瞬間にも立ち会いたいものだが、その都度々々の娘の表情はどうだろうか。やはり親たちにとっては、極めて涼しい顔に映るのではないかという予感がする。それでよい。
自転車ゴーゴー、人生もゴーゴー。