エリーゼのために

いつか、また逢おうね

健やかに育ってくれてありがとう

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 家のベランダから見える小学校の校庭。なにやら騒々しいと思ったら、今日は運動会らしい。昨年まではまったく他人事だったこの光景も、来年は娘が参加していると思うと感慨深い。

 しかし、なんだろう、子どもの成長を喜ぶと同時に、この寂しさは?

 7月生まれの彼女。“あの日”はとても蒸し暑く、空は晴れているが雲がまだらのように広がって、典型的な梅雨時の晴れ間のようだった。
 その日の明け方、足元の物音で目を覚ますと、妻が差し迫った様子で「ハスイした」と。
 予定日がまだ先だったので油断したところもあったが、来る時が来たという興奮でむしろ集中力が整ってくるのを感じたことを思い出す。

 病院に到着したのはその後すぐの早朝だったが、そこから夜の8時過ぎまで、妻も娘もよくがんばった。こういうとき、オットは、まだら模様の雲を見上げているくらいしかできない。せいぜい、その時のこと書き留めておくことくらいか。

 

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201x年7月x日。今日は、今年一番の暑さで、猛暑日でした。天気予報は午後から雨でしたが、いま、午後8時半をまわったところで、まだ雨は落ちて来ず。やたらに蒸し暑い夜です。

7/1xを予定日としていましたが、2週間も早まるなんて、せっかちな性格なのか、いや、親ふたりの側がせっかち、あるいはまた別な問題なのか…。

 

そして、「おめでとうございます!」という助産士さんの声。午後8時40分。初めてこの世の空気に触れた君は、まだ艶々に濡れていて、元気に手足をばたつかせています。泣き声はほんの最初だけで、あまりにもおとなしくてびっくりするほど。僕にとって、君が生まれた瞬間の風景です。

昨夜寝るときは考えもしなかった急展開。今朝方、xx(妻)がお手洗いに起きたのかなぁと半分眠った状態でいると、「破水しちゃった!」と xx(妻) の声。朝6時ちょっと過ぎくらいでした。

そこから延々15時間。よくぞ健康に生まれてきてくれました。頑張ったね。ありがとう。

嬉しくて、嬉しくて、きっと涙が止まらないだろうと思ってたんだけど、実際は新たな命の存在に圧倒されて、君をただただ見つめることで夢中。手は?足は?指は?すべて精密なつくりでしっかりと完成されている模様。よかった~。感動的であることはもちろんだけど、安堵感がそれを上回ってしまったみたい。

そうそう、感動というより、感謝の気持ちで身体中がいっぱいになっていました。

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 医師から「今日はもう遅いので、明日に見送ったほうがよいかもしれない」と、妻を通じて聞いたあと、いっとき病院の待合ロビーに戻る。
すべきことも思いつかず、ケータイで上記メモの文字を打っていたところで、“ん? 泣き声?!”
 そして、わが人生において特別な瞬間が訪れた。

 

 あれから数年が経ち、その間に大小の事件・事故を経て、現在の成長した娘の姿がある。腕も脚もしっかりとして、かけっこでは追いつかない日もそう遠くはないと感じる。

 ほんのりした寂しさの正体は、眩いばかりの成長ぶりと表裏一体にある、幼い娘との刻一刻のお別れのせいだと気づく。
 一日の終りに、寝息を立てている娘の表情を見る。明日、また笑顔で会えるだろうけど、今日の彼女はもう存在しない。こんな、親たちの間で何百万回も使い古されてきた表現が心に刺さるとは、自分の頭が狂ったとしか考えようがない。実際狂ったのだろう。でも、それでいい。

 バカボンのパパが本当に天才だったことが、大人になってようやくわかる。

 「これでいいのだ」