エリーゼのために

いつか、また逢おうね

自転車ゴーゴー

f:id:worldtrotter:20170922172018p:plain

 もうすでに一年前のことだ。娘が5歳になった夏の終わりの話である。


 初夏の頃、3歳の誕生日にプレゼントした自転車は、あまり頻繁に使われているとは言えず、2年近くが経とうとしていた。補助輪や安全バーがついているとスピード感はないし、自由が利かないのであまり楽しくないのだろう。すぐに飽きてしまい、練習はなかなか進まない。ということで、思い切って補助輪を外してみたが、ますます遠のく結果となってしまった。

 

 「まだ早いのか・・・」と思う一方で、ペダルも取ってしまうというアイディアも頭の隅にあった。ストライダーとして乗っていれば、そのうちバランスを学ぶということをどこかで読んだか聞いたかしていたのである。

 そして、これが大当たり。足で地面を蹴って走り出すと、ある程度スピードは出るし、倒れそうになったらすぐに足をつけばよいので恐怖感が少なく、かつ自由度は高い。すぐにも両足を上げて楽しむようになった。

 

 いつペダルを戻すかが次の問題だった。早すぎると元に戻ってしまうかもしれない。しかし、タイミングを逸すれば乗れるようになるのは、また先になってしまう。

 補助輪を外した初夏の頃は、夏の終わりには乗れているといいねと妻と話した仮目標があった。だが、乗れるようになるには、一山越えないといけないと覚悟もしていた。

 なぜなら、自分自身の記憶を探ると、やはり確か5歳くらいだったかと思う。補助輪を片方だけ残した形でしばらく乗っていたが、いよいよ両方外しての練習。地面が土だった実家の庭で、何度も転んで半べそをかきながら練習したことを今でも思い出す。

 

 ところが、娘の場合、ペダルを戻して乗り始めた次の瞬間、なんなく漕ぎ始めた! パランスを崩しそうになると足をつくのではなく、さらにペダルの足に力が入った。ハンドルさばきも絶妙である。本人もその面白さ、気持ち良さを味わっているようだった。そして、より大きな驚きと興奮に包まれているのは親の方だった。

 

 もはや走らないと追いつかない娘の自転車に向かって「待って〜!」と叫び、スマホで動画を撮りながら追いかける。すると、ピタッと止まって振り返る娘。その顔は、親たちの感極まった表情とは対照的に涼しいものだった。

 これが、人生に一度きり、自転車が乗れるようになったという一個人の歴史的瞬間である。その時に立ち会えたことがとても嬉しいし誇らしい。

 

 娘はこれから様々な経験を重ねていくだろう。それぞれが彼女にとってすべて歴史的な瞬間の連続になるわけだが、自転車というのはその象徴的な出来事なのだろうと思う。

 将来、また別の嬉しい瞬間にも立ち会いたいものだが、その都度々々の娘の表情はどうだろうか。やはり親たちにとっては、極めて涼しい顔に映るのではないかという予感がする。それでよい。

 

 自転車ゴーゴー、人生もゴーゴー。